大田靖乃です。

今日は、私自身の

過去のエピソードについて

綴ってみたいと思います。

 

私の経験から得た知恵や実践法を

必要としている人がいると

最近強く感じるからです。

何か感じ、

受け取ってもらえたらいいな。


 

私は沖縄県の沖縄市という

嘉手納米軍基地の近くの町で生まれました。

両家の初孫、4人兄妹

(長男・次女・次男)として

とてもとても愛されて育ちました。

実際は戦後の混沌とした時代の影響で

私の家系図は複雑なため

おじいちゃんとおばあちゃんが

それぞれ3人いて

深い意味を理解できない当時は

ただただ、

「おじいちゃん、おばあちゃんが

いっぱいいて嬉しい!」と

感じてたのを覚えています。

 

両親は自営業で印刷業を営み、

父がデザイナー、母が営業という

それぞれの役割が持ちつ持たれつで

ぴったりと合っている素敵な夫婦です。

(私にとってのパートナーシップの原型)

家の庭に建てられたプレハブが

仕事場ですので、

いつも家には誰かがいる家庭でした。

おきな窓がいっぱいの家で、

家中に植物が置いてありました。

 

植物から色を抽出して色水を作ったり、

泥団子作り、折り紙など、感性と五感を

刺激する遊びを好む幼少期を過ごしました。

一つのことに集中すると時間を忘れ

周りが見えなくなるほど没頭します。

泥団子のクオリティーは

相当研究し、追求していました。笑

 

保育園では

クラスの園児に折り紙を教える

折り紙先生役になっていたそうです。

(正直覚えていませんが、きっと一枚の紙ぺらがいろんな形に変化する不思議さと面白さの虜になっていたのでしょう)

薬がとにかく嫌いで、

やっと飲んだと思っても吐く。

母が祖母に私を預け、

ご飯を食べさせるのを頼んで

仕事に出かけ、

とっくに食事が終わっているであろう時間に

帰ってきた時

ずっとご飯とおばあちゃんとにらめっこして

食べたくないものは食べたくないと

自分の意志を貫き通す、

そんな頑固な子どもだったそうです。

 

幼少期から

社会の常識や「当たり前」と

言われるものに対する違和感が強く、

本音を隠し上辺だけで取り繕う生き方や

働き方、稼ぎ方に抵抗を覚え、

「なぜこの星は争いごとがなくならないの?」

「貧しい人と豊かな人がいるの?」

「みんなで分け合えばいいだけなのに」

「なんで人は生きるの?」

と哲学的なことを考えていて、

よく大人たちを困らせていました。

 

人の考えていること、

感じていることを察知する力が強く、

 

大人の顔色を察知して

大人の喜ぶことをやる

サービス精神も育っていきました。

 

小中高と地元の学校で、

勉強は要領よくできる方で、

特にいじめられたりいじめたりもなく、

波風立てず穏やかな学校生活。

 

小学時代は、吹奏楽部に所属し

もう1人の友人と2人で部長を経験。

指導力のある先生のおかげで沖縄県代表として

九州の演奏会に参加したりもしていました。

(そういえば、学校紹介の代表でインタビューに答えました)

 

そんな楽しい学校生活の一方で

どこか冷静に俯瞰している自分もいました。

 

 

中学に進学するとテニス部に入部。

しかし、実家が経済的に裕福ではなく、

新品のラケットを購入できず

「中古で我慢してね」と言われた時

両親の大きな悲しみと怒りを受け取りました。

「自分のやりたいことは両親を苦しめる」

(私のお金の原型)

という公式を自分の中で

より強固なものにしていったと同時に

思春期の私は周りの友人との

経済格差をはっきりと痛感し、

それを反抗期としてぶつけまくったのです。

 

高校時代に続く。


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“大田靖乃ストーリー(誕生〜義務教育時代)” への1件のコメント

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